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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2016年12月1日

「香楽=清香楽園・XiangLe」は確かにあった

――「禅茶」のこと、「九壺堂・・勲華」さんのこと

禅茶=高山烏龍茶・阿里山の茶葉の写真「XiangLe中国茶サロン」としての、最後の月になった。
 昨年末に、サロンの幕を降ろすと宣言してから、1年がたった。どう終わるべきかを考えることもなく、その後どうすべきかの確たる考えもなく、間もなく終わろうとしている。

 どれだけの人と一緒にお茶を飲んだろうか。どれだけの人にお茶をいれたろうか。考えてみても意味のないことのようにも思えるが、一つだけ言えることは、時が過ぎてゆく中で、忘れられる存在、忘れられるお茶であっても、かまわない、ということである。一年くらいは、思い出話に出るかもしれないが、いずれ忘れる。そういうものだ、と思ってやってきた。
 思い出の中で、語られようが、語られまいが、それを決めるのは、残された人たちであって、それに値したかどうかは、これからの人や時代が決めていく、ということだ。いくら価値をうんぬんしても、それは、今の価値であって、将来の価値であるとは限らない。

 この一年、20年を超えてやってきた普遍のクラス、ただひたすら美味しい中国茶を求めて「飲む」クラスでは、毎月一種類だけ、私の思い出に残るお茶を取り上げてきた。
 今月には、「このお茶がなければ、いまの私はない」と言い切れるお茶、「禅茶」の残っているお茶を出してきて、飲む。
 このお茶には、いくつものストーリー、思い出がある。何度か、色々のところでご紹介しているが、最後にもう一度、ご紹介する。

 もう20年近い前になる。台北の九壺堂の・さんから、台北を訪ねる前に、日本まで連絡があった。会う前に、お茶のことで連絡をしてくることなどなく、しかもいつも冷静な・さんが、少し興奮ぎみな感じがした。
「すごいお茶が出来たから、楽しみに来てください」。それだけのことであるが、そんなことをしない・さんが、わざわざ連絡をしてくるくらいだから、何かが違うお茶なのだろう、と思った。

 九壺堂へは、その時、夜になっていったことを覚えている。
 明るく陽が差し込む部屋だが、夜は少し暗めであった記憶がある。
 ・さんは、いつもどおり、笑顔で迎えてくれた。
 焦らすように、いつもどおりそのシーズンの色々のお茶を飲ませてくれた。
 こちらの審美眼を測ろうとするためか、たしか7?8種類のお茶を飲んだ。いってみれば、満腹のあとである。おいしものでも、食べたくない状態で、いよいよそのお茶の登場となった。
 多くを語らず、「これが紹介しようとしたお茶です」、といって、さりげなく出してくれた。
 水色は薄く、とくに電球色の照明では、なお薄く感じた。ほとんど色はなかった。

 飲んでみた。味は、しない。香りもない。ほとんど「お湯」である。かすかに、お茶だな、とわかる味、香りである。
「これが、『すごい』というお茶なのか」、何か間違っていないか、と疑った。
 茶葉も、もう一度手にとり、眺め、香りを嗅ぐが、香りはほとんどない。
 こちらの怪訝な表情を無視するように、すぐに2煎目が出てきた。
 今度は、少しだけ味、香りが感じられた。でも、通常のお茶の概念からすれば、まだ「お湯」に近いもの、ほとんど「お湯」であった。

 相変わらずの沈黙のまま、3煎目が出てきた。すぐに飲みほした。
 口に入ってくる時は、相変わらず「お湯」に近いものであった。しかし、今回は、少し違う。喉をお茶が通り過ぎて、一拍おいたあと、じつに静かに、やさしく、柔らかな陽の光のようにお茶の香りがこみ上げてきた。「心地よい」、と感じた。
 すぐに、その心地よさを追いたくて、早く4煎目が欲しくなった。
 そして、4煎目を飲むと、同じように、しかももっとくっきりと、清らかなお茶の香り、味がこみあげてくる。その香り、味の透明感は、今までに体験したことのないものであった。
 それは、その後も煎を追うごとに、明らかな存在として、身体全体、そしてその場をもその清らかな空間に感じさせるほどになっていった。

「お茶を、喉、胃で飲む。感じる」ことを体験した時であった。
 それまでも、「清香(チンシャン)」という言葉を数多く使ってきたが、この時、「清香」とはこのことを言っていたのだ、と感じた。過去の「清香」の概念を、塗り替えてしまった。
v  それまで黙っていた・さんが、口を開いた。
「このお茶は、あなたが先日一緒に行ってくれた、凍頂の畑で、日本の専門家が言っていたことがヒントになっていますよ。いかに「自然であること」が、大切か。このお茶は、発酵もほとんどしていません。揉捻もほとんどしていません。極端にいえば、葉を自然に育て、摘み、少し水分を飛ばして、きもち浅く発酵させ、殺青し、揉捻もせずに乾燥させただけです。
 これだけのお茶にできたのは、あなたがきっかけですから、このお茶の名前をつけてください」。

 面食らった。そんなつもりで、一緒に鹿谷に行ったのではなかった。
 突然のことであったし、そんな才能も私にはない。「できません」、と言った。
 ・さんは、しばらくじっと考えて、「禅茶」ではどうですか、と言った。
「どうして?」、と聞いた。
「このお茶は、禅寺で、庭に面した廊下に一人座り、庭をながめている風景、心持ちになるお茶です。落ち着ける中で、自分と自然、自分の存在、いろいろのことを感じることができるのではないですか。だから『禅茶』がふさわしいのでは」、と言った。

 この時、私は彼を、お茶を超えた師であり、友人でありたいと思ったような気がする。

 でも、である。
 私にとってのこのお茶は、中国茶と向き合う、意味や生きる糧となっている。
 しかし、このお茶を体験したことのない人にとっては、それは、想像できる価値や意味であって、それ以上でも、以下でもない。すばらしい、「清香」の極にあるお茶があった、ということを思うことはできても、その人たちにとっては、それは空想であり、実像にはないえないのである。

 これが「お茶」の限界、「お茶を楽しむ」ことの限界でもある。体験してこそ、意味を持ち、感じることができるのだ。広がる世界を作ることができるのだ。
 五感、欲にかかわること、すべてに共通することかもしれない。まったくの体験主義、実証主義といってよいし、そうでないと意味を持たない。
 だから、伝える側、教える側には、自分の感じるもの、考えるものを、体験させる、実証させる責務がある。「美味しい」と感じてもらえること、「感動する」ことを体験してもらえること、「よかった」と感じられること、それらを伝えること、教えることが、普遍のテーマであり、永続への道である。

「禅茶」は、「清香」の極みであった。そういえるのは、今もって、それを超えるお茶に出会っていないからである。
 そして今思えば、このサロンを始める時に、「清香楽園」と何気なく、私たちが目指すお茶の世界をこう呼んでは、と思い、それを縮めて、「香楽=XiangLe」としたことが、よかったような気がした。
 その楽園を実現するお茶は、確かに存在したこと、そしてそれに居合わせることができたことを、幸せに思えた。

(写真:禅茶=高山烏龍茶・阿里山)

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