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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2016年9月15日

サロンの思い出ばなしH

――作ってもらった茶器の数々・海外編

茶壺の写真 サロンを神谷町でスタートさせてから、今までに、いくつもの茶器を、作家の方にお願いして、作ってもらった。
 その最初が、写真にある「茶壺」の大きい方である。

 研究所での研究チームのメンバーと、杭州に行くために上海に滞在した時、上海在住の宜興紫砂の作家・許四海氏の工房を訪ねた。彼は、工房に簡単な博物館も持っていたので、勉強も兼ねて訪ねた。
 その時、話の中から、オリジナルの茶壺を作ってもらうことになった。
 どうしても、日本で買えるもの、あるいは香港などで買えるものには限界があり、台湾で買えるものも、作家ものは、「これが、こんな値段?」というくらい高く、また、どこかしっくりくるものがなかったので、使えるものがあってもよいな、と思っていた時だった。

 形は、どうにでもなるので、希望を言ってほしい、ということだった。大きさも、何ccくらい入るものと言ってくれると、その大きさにする、ということだった。
 許四海氏は、一応紫砂の作家としては、人間国宝クラスではないものの、中堅より上のクラスの人であり、そんな人がオリジナルを作ってくれるなど、本当だろうか、と完成して、器が届くまで不安であった。
 清代にある「梨型」の形をベースに、許氏のセンスをいかしてほしい、とし、台湾で小さく小さくなってしまった茶壺をふた回りほど大きく作ってもらった。

 その数年あとには、サロンの参加者で中国のお茶産地を訪ねる旅行の記念品として、茶壺を渡そうと思い、上海の張亦文氏に奔走してもらって、以前に作った形をベースに、少しだけ形を小さくしたものを作ってもらった。
 それ以降、この茶壺が、サロンで茶藝の勉強をする時、お茶をいれる時などの少人数の時に使う茶壺になって、今も使っている。
 大・小ともに、他の茶壺よりもおおむね美味しくはいるが、大小を比べた場合は、大きい方に軍配があがることが多い。

 中国に行く機会も多くなり、勉強のためもあって、博物館や美術館も訪ねることが増えた。日本からの行き帰りのベースとなる上海では、上海博物館、杭州では、関係が深い中国国際茶文化研究会が、当時は中国茶葉博物館の奥の建物に入っていた関係もあり、行くたびに、覗いていた。
 また、杭州、その周辺で催されてるお茶の集まりには、当時は、杭州の博物館、美術館の館長や副館長などといった人たちが、よく出席していた。顔見知りになって、その人たちの博物館や美術館を訪ねる機会も多くなった。

 印象に残る、私の好きな、あるいは、ここは見たらよいと人に薦められる、美術館、博物館の一つに入るものも、中国国際茶文化研究会の王家揚初代会長から、「ここは必ず見ていきなさい。連絡しておいてあげるから」、と言われて行った、現代中国絵画の「潘天壽」の美術館であった。
 それ以来、何度も通ったが、そのたびごとに感動した。私のおすすめ美術館に入る美術館になった。

 上海博物館は、階ごとに、展示物の領域が違うので、興味のあるものだけをワンフロアで見ることができて、便利な博物館である。
 どうしても、お茶の関係から陶磁器のフロアに行くことが多く、よく年代別、生産地別に整理されていて、歴史を追いながら、中国の陶磁器を見ることができる。
 また、私にとって、ここに格別の思いがあるのは、私がコレクションの質の高さで、感動をうけた香港の「徐氏藝術館」、徐展堂氏のコレクションの多くが、ここに預けられ、他の展示物の中に紛れこみながら、展示されていることである。オーストラリア、カナダ、そして上海に、香港返還前に分けられて預けられたコレクションの、一部(といっても膨大な数)を見ることができる。
 香港の徐氏藝術館は、以前は、香港の中国銀行支店の上階のフロアにあり、中国銀行が移転するたびに、そのビルの上階に移動し、そののち、香港島の西部にある香港大学に、徐展堂の記念棟ができ、その中に入った。が、4年ほど前に行った時には、建物はあるが、なくなっていた。
 最近調べてみると、香港島中環に存在しているようなので、機会があったら、訪ねてみたいと思っている。香港に残ったコレクションも、すごいものばかりであったので、それがそのまま残っていると、感動すること必至である。

 上海博物館の中で、清代初期に景徳鎮で焼かれた、五彩の長い提げる手のついた、蓋に桃をあしらったポットがある。最初見た時から、惚れてしまった器で、行くたびに見ていた。
 同じころ、台湾に行って、北投の陶芸家・蔡曉芳氏と懇意になっていた。ある時、私の最初の本『中国茶雑学ノート』の中に出てくる、景徳鎮の清代の名品「十二花神杯」を再現してみたいけど、記述を参考にしてもよいか、と聞かれたので、了解した。
 彼が、台北故宮の収蔵品も頼まれて再現をしていることは、知っていた。ついでに、上海博物館のポットの話をしたら、私が欲しそうに思えたのか、再現してみてもよい、と言ってくれた。
 できれば、写真がほしい、という。上海博物館は、当時から、館内での収蔵物の写真撮影はOKだったので、可能性が広がった。

 蔡氏の再現する作品は、偽物ではなく、同じようで、どこかに氏のオリジナリティがあるのだが、その雰囲気を氏は上手に再現してくれた。
 すばらしい出来であった。

 童子が戯れる姿を描いた陶磁器。日本では、江戸時代から明治にかけて、唐子の図柄が三川内焼で焼かれていた。唐子に興味があり、三川内まで行ってみたが、昔のものは絵に魅力を感じたが、今のものには残念ながら魅力を感じることはできなかった。
 当時の中国本土で焼かれたものにも、素朴さがあるように描かれてはいるが、どれも魅力にかけるものであった。
 台湾の蔡氏のところに行くと、生き生きと遊ぶ唐子の図柄が並んでいる。
 しかも、洋食器のセットに描かれていた。すばらしいものであった。

 蔡氏に話を聞くと、ドイツの台湾総領事が、帰任するに際して、唐子を図柄にしたディナーセットの300ピースを超えるものを注文して、その残ったものが、飾られていた。
 茶器は、まだ唐子を描いたものがないというので、作ってもらえるか、聞いてみた。
 即答でOKだったので、茶船、茶壺、蓋碗、茶海、茶杯のセットを作ってもらった。
 それ以降、唐子が描かれた器が、蔡氏の定番作品の一つになっていく。

 どうして、他の窯よりも訴える力のある唐子が描けるのか、聞いてみたことがある。
 蔡さんの工房に、二人、けっこうお歳の唐子を描かせては名人の職人がいる。彼らの腕がよいのだ、と言っていた。その後しばらくして、少し、唐子の様子が変わったので、聞いてみたら、もう彼らの年齢が高くなって、一人はやめ、もう一人もいつまで働けるか、時間の問題だ、と言っていた。
 2年ほど前の上海。偶然行ったお茶の博覧会に、小さな骨董品屋さんが出ていた。そこに、蔡氏の唐子の茶海が売られていた。骨董に出回るようになったのだ。時の流れを感じた。

(つづく)

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