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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2015年10月1日

「師弟対決! 会場で買えるお茶はここまで美味しくはいる」

――このイベントでの、最後の登場。その思いは‥‥。

サロン風景の写真 10月から、私のサロンは、今年最後の新しいクールを迎える。同時に、1月からの、来年のクールのご案内づくりも始まる。
 今年は、特別の意味をもって、準備を始めることになる。発表は、11月のはじめになる。

 10月10日と11日には、ご依頼を受けて、パブリックなイベントでお茶をいれる。このような場で、このような形でお茶をいれるのは、最後のことになる予定である。
「エコ茶会」という、中国茶を中心にしたイベントである。過去、何回か、ご依頼を受けて、セミナーでお話をしたりした。昨年は、ご依頼が来たのが遅く、もうすでに私のスケジュールが埋まっていたので、お断りする結果になった。

 今年は、早くからお話をいただいたが、以前から書いているように、もうそろそろこのような場では、新しい顔の人が、お話しをしたり、前面に立っていろいろのことを行なうべきだと考えているので、強くお断りした。

 強くお断りするが、ご依頼の主には、多少、過去にお世話になったり、お仕事をお願いしたりしたことがあったので、執拗にご依頼があると、どうしてもお断りできない。
 ということで、「来年は、ご依頼をお持込みにならないこと」を条件に、お引き受けした。
 だから、よほどご依頼主が厚顔でない限り、来年はご依頼がないはずで、このイベントでの登場は、今年が最後である。

 お引き受けするにあたって、ご依頼は「セミナーでお話しを」ということであったが、この会の初心の趣旨から言っても、むずかしい、眠くなるようなお話しをしても、しょうがない、と思い、イベントをやらせてもらうことにした。

 題して「師弟対決! 会場で買えるお茶はここまで美味しくはいる」。
 いささか物騒な、挑戦的なタイトルである。
「師弟対決」は、サロンで茶藝を学ぶ方々5人と、同じお茶をいれ、どちらがおいしくはいったかを判断していただこう、という意味だ。会期中、10席。5人の方と2席ずつ、パラレルに並んでいれ、腕前を競うものだ。

 たぶん、私が各席で負ける。是非、負ける姿、味を、時間のある方は見に来てほしい。
 既成の概念にとらわれて、いかに皆さんは権威を作りあげているかを、実際に見て、体験してほしい。
 十分に、私の教え方が間違っていなければ、この5人の方々は私よりお茶をおいしくいれることができる。茶藝の姿も、私よりずっと魅力的に育ってきている。

 このような方々が、一般的に知られ、評価される時代にならなくてはいけない。
 この企画に込められた私の思い、願いは、そこにある。
 日本の中国茶も、この人たちの時代でなければならないことを、実感してほしい。

 お茶は、権威がいれるものではない。
 どんな知識、技能があろうとも、いれたお茶が、「おいしく」あるいは「愛される」、「何かを感じさせる」お茶でなければ、お茶は存在する意味がない。飲んで「よかった」と思えるお茶は、知識や権威がいれるものではない。

 使うお茶も、持ち込むことをやめた。
 せっかく、このイベントに協賛して、出展しているお茶屋さんが、当日会場で売られているお茶を、現場で10種類買い、各席1種類ずつ違うお茶で、競いあうことにした。
 お茶屋さんが、通常扱われているお茶が、いれ手によってここまでおいしくはいるのだ、と言っていただけるように、師弟が競い、挑戦する。

 お茶をいれる方ならわかるだろうが、初見のお茶は、おいしくいれることが難しい。偶然おいしくはいることはあっても、そのお茶の状況や作り手の技術、思いのようなものを、何回かいれながら、掴みとっていく。
 たいていお茶会などでお茶をいれる場合は、使うお茶を何度もいれて、練習して、当日に臨む。

 それを初見でおいしくいれる、というハードルを高めての挑戦である。
 私は、ほとんどお茶を練習していれることをしないので、いつも初見のようなもので慣れているが、対戦相手は、ちょっと負担であろう。
 でも、私のところでのレッスンは、いつも知らないようなお茶、茶葉をいれるので、毎回、初見でいれているのと同じである。
 そのことに気づけば、いつものようにいれ、師を打ち負かすことが容易であることに気づくはずだ。

 お時間のある方は、こんなお茶の見世物、楽しみ方もあるのだと、是非足を運んで。飲み手としてご参加いただきたい。
 そして、日本における中国茶は、この人たちが中心に変わっていかなければならないことも認識してほしい。

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