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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2015年3月1日

ハードロックの茶藝は可能か

――個性ある茶藝へのトライアル

サロン風景の写真 茶藝を教えるクラス。
「おいしいお茶」を「美しく」いれる入門的なコースは、修了するとほぼ世間的には、「おいしい」「美しい」評価を得られるところまでいける。

 それ以上を目指すコースは、「茶藝プライムコース」として、一般的にいわれる「茶藝」が、より魅力的な姿になることを目指すことはもちろん、「この人のお茶が飲みたい」あるいは「お茶をいれてもらいながら、一緒にいる時間が楽しい、必要だ」といわれるような、お茶のいれ手になることを目指している。

 以前にも書いたが、その「プライム」コースを目指される方が増えている。長年「茶藝」を私なりの教授法で指導しているが、このコースにある4つのステージに共通する目標の一つが「個性」を表現すること。「個性」のあるお茶をいれることである。

「個性」という堅苦しい表現でわかりにくければ、自分の魅力を表現したり、いれるお茶に反映させることである。
 どんな人にも「魅力」がどこかにある。それを教える側が、見つけ、それをいれるお茶の中で表現することを教える。

 中国茶の世界で、中国を含め、どこでもやられていないと思われる教授法である。
それは、形式を重視する、別のいい方をすると、教わる先生のやり方、動き、方法をそっくり同じくすることが、ゴールとする今の茶藝とは、正反対くらいのところにある教授法、考え方である。

 魅力あるお茶のいれ手、おいしいお茶のいれ手、飽きられないお茶のいれ手になる道の一つは、この方法であると考え、数年にわたってこの考え方を強調して教えてきた。今、確かな手応えを感じている。

 そんな中で、もう一つ伸びきれない、壁にぶち当たって数年になるプライムコースの方に、彼女の好きな「ハードロック」を流しながら、そのリズムやトーンでお茶をいれる練習をしてもらっている。

 お茶といえば、「静寂」「清らか」「さわやか」などのイメージが支配的である。が、そういう中での練習では、彼女の良さをいつまでたっても引き出せない。お茶をいれる中で、彼女の一番よい部分を表現できる環境下、あるいはロックじたいを表現できないと考えたからだ。

  ここ1年以上、このやり方を取り入れた。
 最初は、彼女にも、教える私にも戸惑いがあった。でも数回後からは、確実に変化が出た。お茶のいれ方に、あるいは所作に、それまであった肩に力が入った堅さ、どう変えて教えても抜けない堅さが消えた。
 肩の力が抜けることは、見た目にはスムースな動きとして、魅力が増すし、何より「自然」である。飲み手との壁を取り払う、お茶を「おいしい」と感じるようになる、一番の大切なところであるいれ手と飲み手との「壁がない」「溝がうまる」ことになる。

 数回前からは、それまではイヤフォンで聞きながらやってもらっていたが、一歩進んで、小さなスピーカーを持ってきてもらい、部屋に流しながら、やってもらっている。
 効果は予想以上である。
 本人も、大胆にリズム、トーンを動きの中に反映できるし、なり切れる。心配していた飲み手の側も、そのリズムに乗って、世界で初めて、世界で唯一の「中国茶ハードロック・カフェ」を楽しめているようだ。

 それまでは、そこそこのおいしさだった彼女のいれたお茶が、ハードロックのもっている「騒然」「力強さ」「ワイルド」と言ったイメージとは正反対に、彼女のもっている「やさしさ」や「清らかさ」を感じるお茶に、はいるようになった。

「個性」「自分らしさ」によったお茶が、魅力あるお茶にはいること、お茶のいれ手になれることの証左である。魅力ある茶藝にもなる。

 しかし、ただむやみに「個性」を表現しようとしても、それは独りよがりのお茶にしかはいらない。
 基礎的な、「茶藝」の共通した技術や考え方などを身につけることは必須である。
そのうえに、今の茶藝ではあまり教えることのない、茶葉、道具、環境の変化に対応したお茶のいれ方、技術や考え方を身につけること。
その後やっと、「個性」をどうお茶をいれる中で表現できるかの、入り口になる。

「ハードロックの茶藝」。
「芸術は爆発だ」といった岡本太郎の有名な言葉が、初めて実感できた。
 おもしろい、魅力的な、わくわくする茶藝。
魅力ある、世界でたった一人のお茶のいれ手に、近い将来、お会いになれるかもしれない。

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