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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2014年9月1日

「茶藝」。教え方も進化した。(上)

――「おいしくいれる」達人へ。教える道が見えたかも

サロン風景の写真「茶藝」と言って教えはじめて、来年には20年になる。
 スタートしたての「茶藝」が、形式的、様式的すぎることへの反発から、形にとらわれず、「おいしいお茶」をいれることを目指す「茶藝」を教えることを、最初の目標とした。
 所作は、機能美となって、自然においしくお茶ははいるわけで、「おいしくいれる」ことが最優先の目標であった。

 お茶をいれるに至る所作や環境ばかりでなく、その経営的手法までもが、日本の茶道における家元制を取り入れながら、台湾から、香港、シンガポール、韓国、日本、そして中国と、その教育システム、資格システムは、急成長するように浸透していった。

 技術や芸術などの習得は、「真似る」ことからスタートするにしても、あまりにも「自分のものではない」、どこまで行っても「自分のものにはなりえない」、言いすぎであろうが「心のこもる余地のない」お茶をいれる所作に、どうにも違和感を覚えた。
 所作を経ていれられるお茶は、形式を、あるいは「真似」を重要視する結果からか、「おいしい」と感じるお茶に出会うことが非常に少なかった。
 当時は、台湾で、中国で、教えられている「茶藝」に、教育システムが確立しているわけでもなかった。だれもが、指導者、家元になれた。

 そういう私の教え方も、今思うと、この長い年月、ずいぶん間違った教え方をしてしまった、と思うところも多い。
 頼りとなる教科書は存在しない。自分で、内容、仕組みを作って、教えるほか、進みようはなかった。まして、他国を含め行われている「茶藝」の教育とは、一線を画するものであったので、当然、暗中模索、すべてが「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」であった。
 場面、場面において、教えている側は、教わる側よりも、もっと自信がなかったかもしれない。

 そんな中で、なんとなく教える道筋、プロセスがほぼ見えてきたと思えたのが、7〜8年前であった。
 でも、そこからもまた「教えながらの修正」の日々であった。
「茶藝」に限らず、「教える」ということは、「教わる側」の反応や習得の程度を把握しながら進化する、「ケース・スタディ」の連続であろう。そして、誰一人も同じ人がいないように、「教わる側」の個性や受容力などを観察しながら、教える内容、スキルをブラシュアップすることで、「教える側」の進歩があると思う。

 記録を見ると、2008年から上級のコースを設け、教えることを始めた。
 2004年に独立する前は、3つの会社と2つの団体組織で、同時に仕事としてこなしながら、お茶のクラスも持っていた。中国茶以外のそれらをすべてやめて、スタッフもなくし、たった一人で中国茶のクラスをスタートさせてから3年ほど経っていた。

 上級のコースを作るまでは、「茶藝」という所作を使って、「おいしいお茶」をいれることができるようになることがゴールで、そこで卒業となった。
 それでも、多くのいわゆる「茶藝師」の資格を持っている方よりも、おいしくお茶がはいることを、ご本人も、飲む人も感じてもらえるようにまでに、指導ができるようになっていた。

 その上級コースを作るようになった一番大きな理由は、こうである。
「おいしいお茶をいれる」ことに加え、「この人のお茶が飲みたい」といわれるお茶のいれ手を、育てることが必要だと感じた。
 達人シェフや達人料理人たちが、普通においしい料理を作るシェフや料理人たちと、どこが違うのか。なぜ、ずっと、お客さんが飽きることなく通い続けてくるのか。
それと同じように、中国茶の魅力を感じ、いつまでも中国茶を好んでくれる人たちが増えるためには、「中国茶をいれる達人」が出てこなければならないのではないかと考えた。

 それを後押ししてくれたのが、「茶藝」のコースを卒業した人たちであった。もっとお茶のいれ方を進化させたいが、教えてくれる人、場所がない、という要望があったからである。

 そうして、「茶藝プライムコース」をスタートさせた。
 4つのステージを、習得のための階段とした。
 最終目標は、「あなたのお茶がもう一度飲みたい」、と通いつめられるお茶のいれ手になること。私に課せられた使命は、そのような人を育成することである。

 そのためには、「個性」のある、「茶藝」や「お茶」にならなくてはならない。
 皆同じような動きや同じような味では、「魅力ある」と一時は感じてもらえ、数回は付き合ってくれるが、すぐに飽きられてしまう。
「個性」という言葉が適切でなければ、その人の持ち味をもったお茶をいれることである。

 多くの教え方が、いれる「お茶」のおいしさよりも、お菓子や食事、周りの道具だったり、しつらえだったり、他の要素が魅力的であることを重要視して教える。その方が、教える方も楽だし、入口としては一瞬人を惹きつけることができるからだ。

 まわりをご覧になると、よく理解できると思う。
「お茶」は不随物でしかなく、主役ではなくなる。
「お茶」で、飲み手と勝負をしてはいない。
 飽きがこない魅力ある「おいしさ」のお茶、そのいれ手の魅力的個性があったとするなら、そこに不随した周辺のものは、お茶のおいしさを増し、もっともっとすごいものになる。

 そういう思いでスタートした「茶藝プライムコース」。
 でも、スタートの時には、4ステージのうち3ステージまでしか教えることができないことを説明して、参加する方には了解をもらっていた。
 最終ステージを教える方法が、その時の私の中では見つからなかったからである。そして、永遠に見つけることができない、と思っていた。

 その最終ステージとは、極めて抽象的だが、
「いれ手も飲み手も、雲の上で、言葉もなく、ただおいしいお茶を飲んでいる。あるのは、広がる空と、お茶をいれる道具と、そこにいるいれ手と飲み手だけ。心は通じ合っているから、言葉は必要ない。一碗のお茶を、静かにいれ、静かにともに飲む。そして、いつまでも一緒に、この空間、時間に居続けたい気持ちになる」。

 そんな状況になれるお茶をいれること、それが最終ステージの目標である。
 私には、どう教えてよいのか、わからなかった。でも、この状況になれることこそが、「お茶をいれることを極めた」といえることであることは、なんとなく確信できていた。
 中国茶を飲み始めて30年ほどが過ぎ、中国茶を教え始めて10数年が過ぎていた。

 そして、6か月ほど前。
 ひょっとしたら、私にもこの最終ステージを教えることができるかもしれない。教わる人に、そのヒントを与えることができるかもしれない、と突然思った。
 閃いた「極めるお茶」への道筋とは……。(次回につづく)

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