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コラム「続・鳴小小一碗茶」report

2014年1月15日

多様な体験、経験の中から、おいしくお茶をいれる

――15年ぶりにクラスの内容に手を加えた

サロン風景の写真「もう半月が過ぎてしまった」というのが、実感だ。
 前回も書いたように、例年にも増して12月から仕事が片付かず、暮れも正月もないまま、大掃除などもしないまま、あっという間に日常に忙殺されている。
 それよりも、積み上げられた仕事は、減るどころか、どんどん増えていって、「一休み」どころではない。終わりが見えることもない、久しぶりの余裕のなさを味わっている。

 年が改まって、お茶のクラスの内容が新しくスタートすることの準備もあり、また、海外出張、そして国内出張、海外からの来客と、一月はとんでもないスケジュールになっている。

 私の出張の場合、どうもはたから見ると「楽なこと」、「楽しいこと」のように見えるらしく、「いいですね」と言われる機会が多い。
 が、実際は、クラスで話す内容集めだったり、皮膚感覚で国、人、モノの変化を感じ取ることだったり、食文化の変化を見るためだったりと、なかなか忙しい。限られた日数、時間の中で、「飛び回って」帰ってくる、というのが、実感である。

「暮れも正月もなく」とはいうが、サロンの雰囲気はお正月らしくなければならない。ということで、久しぶりのレイアウト変更、お正月・1月用の道具だてなどして、今年のクラスが始まった。

 今年の年間企画は、5年ぶりに「プーアル茶」を1年間で60種類飲む、というもの。新しく入って来たものを飲んでいただくのはもちろん、5年前に飲んでいただいたものについては、その変化を体験していただきたい、という趣向である。

 サロンをスタートさせてずっと変えることのなかった「おいしい中国茶を飲む」、というクラスには、15年を超えて初めて手を入れた。
「おいしい中国茶を飲む」のだが、それに「銘茶60種」を1年かけて飲もうという軸を今年加えた。

 それには、ある思いがある。
 国内では、ほとんどお茶屋さんを歩くことは私だが、昨年講演を頼まれた会場で、けっこうな数のお店が出展し、中国茶を販売していた。
 その時気づいたのだが、扱っているお茶が以前にも増して限られていることだ。
 武夷岩茶、プーアル茶、安溪鉄観音、鳳凰単ソウ、台湾のお茶がほとんどだ。お茶屋さんも商売だから、売れるものしか扱わない。日本人の多くが好きなお茶が、これらのお茶であることも事実だ。

 しかし、「中国茶」はこれらのお茶が大きな位置を占めているのではなく、これらは中国茶の領域でいったら、ほんの10%程度である。一番大きな領域を占める「緑茶」は、商売にならないからか、ほとんど扱われていなかった。
 ずっと以前から、中国のお茶関係者に向けても、国内に向けても言ってきたが、日本茶が不断の努力で日本人の嗜好に合わせて変遷し、作られてきた。日本でのお茶ビジネスでは、日本の緑茶に中国緑茶はかなわない。

 でも、この扱いでは、中国茶は「烏龍茶(青茶)」と「黒茶」のみという誤解を生みかねない。ちょっと黙止していられないところまできている、と思えた。

 私のクラスでも、年間で言えば、高山烏龍茶は、茶区の違い、春茶・冬茶などで15種類以上は飲んできたが、今年は、高山烏龍茶は一つに。武夷岩茶も一つ。鳳凰単ソウも一つ、とすることにした。種類別の比重になるべく近い形で、緑茶を多く飲むことにして、中国茶の全体像をもう一度つかんでもらいたいと思い、企画内容に手を加えた。

 今年第一回目の最初に飲むお茶は、「官庄毛尖」。湖南省・げん(さんずいに元)陵のお茶である。
 中国でも、もともとあいまいな「銘茶」の定義だが、銘茶として取り上げられるお茶にも変化がある。このお茶も、15年くらい前までは、銘茶として登場する頻度は多かったが、この頃ではお茶屋さんで見る機会もほとんどない。
 私自身も、約15年ぶりにいれ、飲むお茶だ。

 飲まれた方の率直な感想は、「おいしい」。
 以前は、もっとスモーキーな感じのお茶だったが、今回はそれほどスモーキーな感じはしない。むしろ、後味で残る旨さは清らかで心地よい。

 どんな領域でもいえることだし、その人の奥深さを作る要素でもあるが、広い知識と経験は、やはり大切なことである。
「烏龍茶」だけを飲んで、中国茶全体を語ることはできない。
飲んで「おいしい」と言うことはできても、「中国茶の中でも、烏龍茶が一番おいしい」と言い切ることはできない。すべては無理だが、ある程度の広さ、多様性、中国茶の世界でいえば、約80%以上を占める緑茶の広さを知らずして、比較することはできないはずである。
 そして、広い中国緑茶の中でも、それぞれの味、香りが途方もなく大きく違うことくらいは知って判断してもらいたい。

 また、たとえ中国緑茶はまずく感じるとしても、日本茶とどうして違うのか。日本茶のルーツでありながら、どうして違ってきたのか、そんな疑問を持つことは、「なぜ烏龍茶がおいしいと、私たちは感じるのか」という疑問に答えるヒントにもなる。
 このことは、「お茶をおいしくいれる」ことへの重要な答えの一つにもなる。

「官庄毛尖」。どこかで飲む機会があったら、試してみてください。そして、自分なりの答えを見つけてほしい。

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