本文へスキップ

コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2018年11月1日

総まとめ・中国茶と私と B

――「ただ湯を沸かし、茶を点てて飲む」につきる


 基本、私は、お茶はおいしく飲むことが最上、と考えている。
 むしろ、必須と考えているといってもよい。
 極論すると、「それだけでよい」、とすら思っている。

 茶藝のように、その精神性を謳いながら、その雰囲気と所作に酔いしれる、といったことは、あってもよいし、なくてもよい、と思っている。
 その精神性を秘めた、あるいは探求する心を真実持つ、本物である人なら喜んで同席するが、「らしき」顔をして臨む人たちの姿を見て、嫌悪感すら抱く。そんな時、同じ、時間、空間にいるのは、苦痛にすら思える。

 今の日本の茶藝を推し進めていくと、一部は、「価格」を誇る世界へと繋がっていく。
 日本で、茶道の世界が、古い時代、富や地位を持たなかったものが、持つことになった時に、精神性をよりどころとしながらも、道具の高価さ、希少性などを誇るようになり、今に至っている歴史がある。まさに、「茶室の中の平等」を謳いながら、「持てるもの」と「持てないもの」の差を、形やその存在において、強く意識させる世界を、一部では作り上げてきた。

 中国のお茶関係でも、よく以前に言われた。なにかをやってもらい、「ありがとう」とお礼をいうと、「お茶の友だから、やってあげて当然」と口にする。
 しかし、場合によっては、それは本心からではなく、裏では足の引っ張り合いをするくらいの、悪口を声高に言っている。
 信頼という世界からはほど遠い、不信に陥るような世界である。
 こちらが、権威ある層からの関係・評価が高まれば高まるほど、こういうことによく出会った。どの世界でもあり、中国だけではなく日本でもそうだが、嫌になる世界である。

 茶藝の資格制度ができ、お茶が高騰すればするほど、このような光景が、中国茶の世界にまかり通ってきた。
 次第に私にとって、住みにくい世界が、広がっていた。

 しかし、私は出席したことはないので、聞く話で判断するしかないが、最近、日本では「持ち寄り茶会」というのが行われ始めているらしい。
 形式的ではなく、気軽に自分たちで茶葉を持ち寄り、お茶をいれて楽しんでいる、という。
 この姿勢、この活動が、初心を貫いて、継続されていくことを望む。
 経験から予測すると、どうしても、この中で、絆を保っていくことが難しくなっていく。それは、持てる者と持てない者の差のようなものが、参加者の意識の中にで始めた時、その関係は、微妙に崩れていく。

 その時こそ、「お茶を通じての友」と中国の人たちがいう、本当の精神を生かしてほしい。リーダーたる人の気配り、人間性こそが、その継続、すみ心地の良さに、繋がっていく。

 日本の茶道の領域で言えば、利休百首の中にある「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶を点てて飲むばかりなることと知るべし」が、お茶の根源であると思う。
 それ以上でも、それ以下でもない。
 日常生活にあるお茶もそうであるだろう。
 道を説く、茶道のようなものにおいては、行きつくところは、こうであろうし、こうでなければならないと思う。が、現実はなかなか難しい状況だ。

 歳をとる中で、中国茶と付き合い続けてきた35年超。
 振り返り、そのあり様を思うと、お茶はいれて、飲むだけのものである。それが原点にある。それゆえ、その時、その時の「おいしさ」を目指さなければならないし、それが飲む人にとって、好ましいものでなければならない。
 それだけに尽きると思える。目指すべきもの、たち戻るべきものは、ただそれだけ。

 そうすると、唐の時代の禅僧が言った言葉が、自分の言葉として、意味をもち、生きてくる。
「喫茶去」――。
「まあ、お茶でもめしあがれ」。「まあ、お茶でいれましょう」。
 そこに、各人、各様のお茶が存在する。いれる人と飲む人との、心地よい関係が生まれる。 

ラ・グラティチュードの写真 今、私が時間さえあれば通いたいレストランを「いっぴん」として紹介する、第4弾。
 今回は、フレンチである。私は、一流フレンチレストランに行くことはまずないので、ビストロである。そこにフランスを食べに行く。料理としてのフレンチばかりではなく、フランスの文化、生活の風味を含めた、フランスに触れに行く。

 35年ほど前、最初は静かに四谷に近い、荒木町の木造平屋建ての不動産屋。左横に、ベニアがめくれ上がった看板もないドアに、その店はできた。
 店の名は「シメール」。私のフレンチ、ビストロのメッカであった。不動産屋が間もなく取り壊しになる、ほんの一年ほどの店であった。
 庶民が安く、気軽に食べるビストロ。前菜、主菜を、あらかじめ決められたメニューから選び、食べる「プリフィックス」が、日本に広がり、定着していくのも、ここから始まった気がする。

 フレンチに憧れ、フランスに渡り、皿洗いをしながら料理を学び、戻ってきた、お金のない若者たちは、この店をスタートに、年に数店の勢いで店舗を作っていった店を任され、パリの街角にあるビストロを、東京の住宅街の一角に作っていった。
 私は、その新しい店ができるたびに、ついてまわった。彼らは、ビストロの伝道師であった。

 今、フレンチを食べに行くとすると、すぐに思いつくのが、神楽坂の「ラ・グラティチュード」である。パリの街角にあるビストロの趣きである。
 オーナーシェフの大坂さんは、その前に「シメール」から生まれた何軒かのビストロを成功させ、独立し、2年前に、わかりにくい小路を入ったところに引っ越して、この店を作った。
 35年前からそうであるように、店にたどりつくのが容易ではない。

 私はこの大坂さんについて、店を移動してきた。
 パリのビストロの定番、「パテ・ド・カンパーニュ」、「鴨のコンフィ」などのピカイチが、ここにはある。未だに変わらない、ビストロのフレンチがここにある。
 シェフ一人、マダムが外で、いい感じでサーブしてくれる。
 ここにフランスを食べに、私は来る。
「ラ・グラティチュード」。私にとっては、かけがえのない店である。
 http://lagratitude.favy.jp

またまた・鳴小小一碗茶 目次一覧へ