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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2018年8月1日

「時代はめぐる」中国茶@

――「大紅袍」から「老そう水仙」への流れの中で


 中国茶のことに、興味をもったころ、そして、中国茶を仕事としはじめたころ、中国茶は「伝説的なお茶」を中心に語られることが多かった。
 25年ほど前のことである。
 そして、その時代がしばらく続いた。

 2005年頃を境に、その時代は変化を見せて、今はそのころのことは、昔話のようになっている。
 ということは、「伝説的な」という「伝説」を知らない中国茶ファンも、確実に増えている。知る必要すらないのである。
 時代は、消費者の姿勢、対応から変化する。それが、中国茶を取り巻く世界も、例外ではない。

 たとえば、「大紅袍」。いわずと知れた「武夷岩茶」を代表するお茶だ。
 25年ほど前、このお茶を飲むことは、中国茶をやっているものにとっては、憧れであった。

「岩場にはりつくようにある、3本(すぐに4本に修正された)の茶木。それを守るため、兵が張り番につき、その横にはそれを保持する人の小屋がある。
 その4本から作られる茶は、量も少なく、入手することは無理である。
 その味、香りは、この世の茶の中でも、崇高さを誇るほど気高く香る。残る香りは、岩韻と呼ばれ、長く、上品にその風景を思いおこさせる。
 名前の由来は、昔そこを旅した高僧が病となり、このお茶を飲んだところ、たちまちに快復した。その僧は、高僧の証である紅の袈裟を茶樹に掛け、感謝と敬意を表した。などいくつかの由来が存在する。」

 といったストーリーが、その希少価値を表現していた。

 市場には、20gほどの茶葉が入った、タバコのパッケージのような小箱が売られていた。みなそれを「大紅袍」だと言って、売っていたし、買う方も「大紅袍」だと思って珍重して、飲み、興奮して感想を述べあっていた。

 それが、4本の「母の木」の大紅袍であろうはずがないのに、その「母の木」のものではないかと、密かな期待を持って、飲んでいた。

 しかも、そのパッケージには、じつは2種類あった。比べてよくみると、いくつかの箇所で違いがある。漢字が、旧字と簡体字であったり、わかっていると違いがわかるが、知らなければわかりはしなかった。
「母の木」から枝分けした、子供、孫の木の茶葉が一種類。それは、当時現地では「小紅袍」と呼ばれ、正直なお茶屋さんは、その名前で売っているところもあった。
 もう一種類は、そこからまた枝分けした木の茶葉であった。

 その2種類を比べて飲むと、なぜか子供、孫の方がおいしく感じられたが、それすら気のせいであったに違いない。

 もとの「母の木」の大紅袍を、1997年以降、摘むことをやめたとされる2005年まで、当時まわりにいた皆さんと一緒に、毎年飲むことができた。皆さんは、毎回、感激して飲んでくださったし、それは嬉しかった。
 が、毎年岩茶の十数種類を現地で、当時の武夷山の研究所の所長と一緒に試飲しながら、大紅袍が一番のお茶であったことは一度もなかった。もっとおいしい岩茶はあった。

 今、武夷岩茶で、評判のよいお茶、トップブランドといってよいお茶は、「老ソウ(木へんに叢)水仙」であろう。そのお茶の登場あたりから、しだいに時間をかけながら、「大紅袍」の伝説は、語られる機会が少なくなっていった。

 その老ソウ水仙の登場は、2000年前後であった。
 当時、台湾の凍頂烏龍茶の「コンテスト」に啓発されたのか、武夷山でも、「コンテスト」を始めるようになった。
 初回から2年連続、ランク下の大量生産・大量販売のお茶である「武夷水仙」が一位をとり、皆が不思議がった。
 あとから明かされるが、それは武夷山で新しく見つかった樹齢300年(翌年には200年に訂正されたが)の、水仙種の老木から摘み、作られたお茶であった。
 そして、そこから名前を「老ソウ水仙」と名付けられ、枝分けにして増やされ、今市場に多く出回っている。

 コンテストは、美味しさの結果としては必ずしも信用できるものではないが、2000年くらいの「老ソウ水仙」は、確かに武夷岩茶のリーダーとしての美味しさと風格があった。
 そして、登場から15年を過ぎ、そのリーダーとしての地位を確立していく中で、「大紅袍」、そしてそれにまつわる「伝説」は、語られることが少なくなっていった。

 時代は、ここでも確実に変化していった。

(続く)

芋焼酎?はてなの写真 今回の「いっぴん」は、「焼酎」である。
 大雑把に言えば、20年ほど前、焼酎は大ブームを謳歌した。
 それも、ワインブームで、次第に沈静化していった。そのあと、日本酒は巻き返して、ブームが訪れた。今、である。
 留まることなく、市場は新しい動きを見せている。クラフトジンの世界的ブームである。日本にも昨年終わりあたりから、新しいジンがいくつか登場している。
 また、クラフトビールも、世界的な動きから、日本でもフレッシュなビールを注ぐ「タップ」の数を競い合う店が、目立って増えている。
 そんな中、最近、焼酎が巻き返しを図って、健闘しているような気がする。
 そう思ったのは、昨年「?ないな」(芋・宮崎県・明石酒造)に出会って、久しぶりに焼酎に感動した時だ。おいしい、というよりも、華麗なおもむきである。以来、ずっと親しんでいる。
 焼酎としては、普通の値段であるのが、なお嬉しい。紫芋のものもあるようだが、私が入手するところでは、扱っていないので、飲んだことがない。
 そして、ずっとどんなものか飲んでみたかったのが、年1回だけ、取扱店からの受注生産とホームページで謳っている、「?ないな 限定原酒」である。昨年は、すでにその年のものはどこを探しても見つからなかった。つい1か月ほど前、店頭で見つけた。「限定原酒2018年」と表記されている。
 その店では、ふつうの「?ないな」は、「一人一本」と書かれているが、こちらはそんな制限表示はない。
 早速買って飲んでみた。より一層の華麗さである。なんの無理もない、自然に喉まで流れこんでいく。うっとり、である。そして、上品にあと味が香る。
 値段は、ふつうのものの約2倍強だが、その価値は十分にある。
 思わず、売り切れてしまう前にと、来年まで持ちこたえるための数本を買いこんだ。
 久しぶりに、「焼酎」の美しさに、触れてほしい。
「美しいのは焼酎じゃない!」と言う方をも黙らせる、まさに「いっぴん」だと思う。

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