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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2018年6月15日

「西湖龍井」今年の飲み比べは?

――いろいろの思い出が、香りの向こうに蘇った


 届きはじめている新茶を飲み始めている。
 今年は、いくつか地域ごとにまとまってお茶が届いているので、それらの「飲むくらべ」のようなことをしながら、飲んでいる。
 定番どおり、「龍井茶」からスタートしてみた。
 テーマをつける必要もないが、もしつけるとすると「龍井茶にまつわるお茶を飲んでみる」、みたいなものだ。

 まずは、「烏牛早」。浙江省温州のお茶だが、このお茶が「龍井茶」の誕生のモデルになったお茶、と25年ほど前に教わった。
 以前よりは、店頭でも「烏牛早」の名前を見ることが多くなった。
 考えられるのは、前に書いた「標準」(原産地呼称のようなもの)が、徐々に定着してきているから、とも考えられる。この「烏牛早」も、「標準」に登録されたようだ。

 どういうことかというと、以前、このお茶は、よく、はしりの「西湖龍井」として店頭に並んでいた。温州は、西湖龍井の産地・杭州より南にある。収穫が、西湖龍井より1週間から10日ほど早くできる。
 杭州で、「西湖龍井の摘み取りが始まった」、とニュースで流れる前に、「西湖龍井」のお茶は、店頭に並んでいた。その正体は、「烏牛早」であることも多かった。
 製法なども誕生のモデルになっているので、形状、味、香りも、似ている。違いを発見するには、相当の経験が必要だ。
 なぜそうだったか、といえば、「烏牛早」で売るよりも、「西湖龍井」で売った方が高く売れるからであった。

「標準」は、この点に関しては、よい効果をもたらしている。「烏牛早」も本名で、広く認知される道筋ができ、自分の名前で堂々と売れられようになった。
 一つだけ、消費者にとっては困ることは、「烏牛早」としての値段が上がったことである。

 はじめて届いた千島湖で作られた「龍井」も飲んでみた。おいしかった。
 でも、その袋は、「西湖龍井」の袋であった。また、混乱するのかな、と思った。
「越州(郷)龍井」で総称されるようになった、「会稽龍井」で呼ばれていたお茶も飲んだ。これも、なかなかおいしかった。
 私が、ずっと評価している、というよりも(コスパが)好きな、「西湖龍井」の「砕茶」も飲んだ。以前は、捨てられていたものも多かったし、農家の人が自分用に飲んでいたお茶で、私は、ずっと愛飲している。
 農家の人から貰うお茶だったが、今やシーズンには、立派な売り物として、店舗に並ぶようになった。
 今年のも、おいしかった。値段もうれしい。

「獅峰明前龍井」もしばらくぶりに飲んだ。店頭での販売価格は、昨年で1斤(500g)15万円くらいの話を聞いた。とても、買って飲める対象ではなく、20年近く前、これよりもおいしい「梅家塢」(西湖龍井のお茶の中で、いくつかある茶区の一つ。獅(子)峰が龍井の発祥の地でもあり、一番のランクだった)のお茶が、実力的には抜いて、私の好みのお茶作りをする農家も見つかったので、ずっと「梅家塢」を中心に飲み続けていた。
 昔から、名声なるがゆえに、ニセモノも多く、我々が買うとしても、見分けはつかないうえに、ほぼ本物は手にはいらない。そんな状況であった。

 今年は、いただきものでほんの少しだけ届いた。いただいた先をたどると、ほぼ本物である。
 品があり、おいしかった。20年ぶりのおいしい「獅峰明前龍井」であった。

 もう20年以上も前、誰も行かなかった(行けなかった)獅峰を、何度か訪ねたことを思いだした。
 当時は、朽ち果てて、台所の一部しか残っていなかったお寺の建物もあった。そこに、お寺の大黒柱を支えていたと思われる、石の台座が残っていた。立派な龍が彫られていた。
 名前の由来になった「龍井」の泉は、落ち葉やゴミで汚れた、小さな水溜りの様相であった。「コンコンと清らかな水が湧き出て、そこから龍が立ち上った」という、「龍」の「井戸」のイメージは、いっぺんに吹き飛んだ。

 お寺の朽ちた山門の手前にある「棚田状」になった、フラットな空間は、清の末期、西太后用にあった18本の茶木である。当時は、痩せてあまり葉もない状態で、竹を横に渡して囲ってあった。その中の茶木はどう数えても17本しかなかった。

 何度目かの時、姚国坤さんが、龍井を作った村の長のお墓にお参りに行こうといって、一緒した。お寺の背面の斜面が、背丈以上に草がボウボウで、お墓はなかなか見つからなかった。
 私はヤブ蚊と奮闘しながら、姚さんは汗をかきながら、向こうの斜面で茶木の手入れをしている農家の人に大声で、その場所を聞き、探してくれた。
 草をかき分けると、少しのくぼみがある。墓石があるものと想像していたが、そのくぼみに二人で、なんとなく頭をさげ、帰ってきた。
 あとで、姚さんから、「あのお墓に行った初めての外国人はあなただよ」と聞いて、姚さんの暖かさに感謝した。

 1996年か7年のことだったと思う。中国国際茶文化研究会の初代の会長・王家揚さんから、「今、中国茶を代表する龍井の発祥の地に、皆が行って、お茶を知り、憩い、楽しめる場所に整備したい」、という話を聞いた。
 それが、今の獅峰の姿になった。
 私は、その変化を見た中の一人であった。

 そんな記憶を蘇らせながら、このお茶を飲んだ。
 時代の過ぎゆくことを感じ、改めてもう、本当に退場すべき時であることを感じた。

牛軋餅の写真 今回の「いっぴん」は、台湾のお菓子である。名前は、よくわからない。作っているメーカーによって名前は違っているようだ。わかりやすく言うと、中華圏に古くからあるお菓子「ネギクラッカー(葱餅)」で、「ヌガー」を挟んだものである。
 いつ頃からあるのかわからないが、気づいたのは、先日行った台北で、好きなヌガーがある「糖村」で見つけ、買ってみた。
 その場では食べないので、一般向けに広くあるはずだと思い、スーパーのwellcome・頂好(スペル間違いではありません)で調べたら、「葱餅」と「ヌガー」の組み合わせは、2種類だけであった。
 それらを買って、帰国後3種類を食べ比べてみた。
 どれもそれなりにおいしいが、私の好みは写真のメーカーのもの。メーカー名は、「三叔公」。品名は「牛軋餅」(Nougat Biscuit)。
 飛び抜けておいしいものではないが、なんとなく懐かしい感じがする。思わず、一度にいくつも食べてしまう。
 台湾ヌガーにちょっと飽きた人、変化が欲しい人には、おすすめ。個包装になっていて、お土産にも良い。必ず評判がよいはずだ。

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