本文へスキップ

コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2018年5月15日

中国茶の歴史的変化が進行中

――地方の名茶が買えない時代がすぐ来るか


 前回、中国茶の「基準」化について、少し触れた。国レベル、省レベル、あるいは地方の流通組織などによる、お茶の銘柄の「基準」づくり、認証づくりである。ヨーロッパのワインやチーズにある「産地呼称」(原産地名保護制度。AOCとかDOCGあるいはDOCとか呼ばれる)に近いものと考えると、制度が理解しやすい。

 この10年、徐々に、徐々に、歴史上古くからの、あるいは1900年代の最後の方に登場し、全国的に知名度が広がったものも含め、産地では準備が進み、「基準」がそれぞれ発表されてきた。
 正確な説明をうけたことがないので、違っているかもしれないが、生まれる背景の一つには、名茶の「ニセモノ」、あるいは「便乗ビジネス」の存在があると思う。それを是正しようという動きであり、当然なことである。
 これで、買い手の側も、名茶を買うときに、「これはニセモノかな?」と、いつも疑念を持つ、心苦しいこともなくなってくれると有難い。

 しかし、そのことが進むことで、色々の影響、心配も出てくる。
「基準」の認証を受けることは、ある種のお墨付きを得たことになる。その認められた呼称(茶名)で、販売してもかまわない、というものである。
 ニセモノの追放にもつながるが、同じ地域内で、今までとは違った枠組みや、呼称の変更が出てくる。

 たとえば、今までの呼称が使えなくなって、違うお茶の呼称に吸収されていく、あるいは新しいお茶の名称に変えて登場する、といったことが起きてくる。
 以前からいうように、お茶は非常にローカリティの強い農産物である。隣接した場所にありながら、地名が変わるごとに全く違った味、香り、形状のお茶が存在することがあって、それで歴史を重ねてきた。
 とくに、浙江省や安徽省といったお茶どころでは、よく見られた現象である。
 ちょっとたとえは違うかもしれないが、日本酒でいえば、隣接した町に、違う蔵元が存在し、それぞれが特徴あるお酒を作っている、と思っていただきたい。

 ところが、その「基準」づくりの中で、そのお茶が作られる産地、エリアを拡大して、お茶の製造工程を含めて、統合した「基準」化されたお茶になるとすると、いくつかの変化が起きてくる。
 そのエリアのお茶を、新しい統合した「茶名」として「基準」化されるケース。
 当然その中には、歴史を生き抜いた、味、香りの違う名茶が存在することになる。そうすると、せっかく作られた「基準」の名称のもとに、歴史を生き抜いた従来の名称のお茶がいくつも存在し続けることになる。
 その場合は、お茶の名称の二重構造になる。同じお茶を二つの呼び名で呼ぶことになる。

 また、こういうケースも考えられる。
 日本で一時期あった、古くから馴染みのあった町名、土地名が消えていったのに似たケースである。
 東京では、市ヶ谷・神楽坂近辺の古い地名が整理統合されて、昔の地名が消えていった。最近では、国が推し進めた市、町、村の合併統合が記憶に新しい。
 それと同じように、基準にあわせて、古くからの茶名、製造工程を変えて、基準にあわせたお茶に変えていくケースが考えられる。

 これ以外にも、色々の影響が出てくるだろうが、すでに歴史の舵は切られているので、この動きは進むであろう。
 好きだった「xxxx」という茶名を言っても、お茶が買えない時代がくるかもしれないが、その土地でお茶が作られなくなったわけではなく、時代の変化として捉えるよりしょうがない。

 中国茶が、日本のお茶に比べて持っている特徴の一つは、明代以降進んできた、味、香りの多様性である。
 少しの変化はあっても、どこかに自分の好きなお茶は存在した。
 今までの経験でいえば、少し探せば、必ず見つかるし、その類似したものも、たくさん見つかってきた。自分の好み、そしてそれを理解して扱ってくれるお茶屋さんがあれば、どうにか手に入れることができた。それが、難しくなるだろう。
 
 と、ここまでは、中国茶における大きな変化だが、それではおさまらない、私にとってはもっと深刻に感じる変化、心配が起きてきた。
 お茶を売る末端で、売れ筋のお茶しか扱わない店ばかりになってきている。
 たとえば、大きな都市のお茶市場に行けば、全国の産地から店が出てきて、その土地のお茶が売られていた。それが、ここ10年ほどの間で、徐々に、徐々に撤退が始まった。残された店は、地元に近い、あるいは全国的に売れる、代表的な銘柄のお茶に絞られてきた。

 末端の流通は、消費者への対応に追われる。商売として成り立つ術を、まず志向する。
 とくにここ3年ほどで、顕著になってきた。たとえば、杭州のお茶市場をのぞいてみても、数十軒と軒を並べていながら、扱うお茶は、ほとんど皆同じである。浙江省の代表的で、かつ今売れるお茶。龍井茶、安吉白茶を中心に扱い銘柄は、本当に少なくなってきている。
 以前は、それぞれの店が、浙江省の広く散らばった山地のお茶の出店として、地元のお茶を売っていたが、それはほぼ姿を消した。
 また、少し大きめの店、あるいは茶館にお茶を卸しているような店は、数十の種類のお茶を扱っていたが、それも扱い銘柄を売れるものに絞らないと商売にならない、と方向転換を言っていた。

 中国の情報伝達の速さは、驚くべきものがある。スマホを通して、瞬時に、全国に、情報がいきわたる。
 歴史的にみても、中国の人はブランド志向である。
 それらが、絡み合いながら、そこに「基準」という大きなお茶の変化がもつれ合って、たぶん代表銘柄10数種類が、絞られ扱う時代に突入していると思える。
 日本で、中国緑茶が売れないので、扱いがないのと同じように、中国の中でも、ローカルな優れたお茶が買えない、入手しにくい時代が訪れるのはすぐそこにある。

 どうするか。
 まだ対応を整理しきれない。
 当然、おいしいお茶の多くは、近い将来消えていくことになる。これも、歴史の流れか。受け止めるしかないだろう。

五勝手屋羊羹の写真 今回の「いっぴん」は、遠く北海道の江差町にある、お菓子屋さんの羊羹である。
 明治3年に作られた羊羹と、店の説明にはある。ずっと同じ形状だったかは定かではないが、少なくとも私が知る限り、70年を超えて同じ形で存在していた。
 古く全国いくつかで見ることができたらしい、筒型の羊羹。蓋を取り、下から押し出し、好きなところで、筒についている糸で切って食べる。残ったら、蓋をしておく。
 その形状おもしろさでの「いっぴん」ではない。味が「いっぴん」である。
 餡といっていいのか、羊羮の濃さが、濃すぎず、薄すぎず、ちょうど私の好みである。私は、餡は粒あん派であるので、羊羮は小倉が好きだが、これは本練りである。が、好きである。
 甘さは、時代によって変えているであろうが、今の甘さも私にとってはちょうどよい。
 江差町は、昔ニシン漁で栄華を極めた町であるが、ニシンが去ってからは、寂しくなるばかりの町である。その中で、五勝手屋は菓子匠として店を続けている。
 近くの函館などで観光土産としても、広く見かけるし、東京をはじめとして、百貨店などで扱っているところも多い。
 好きな羊羮の一つである。おいしいだけでなく、子供の頃の思い出をどこかに感じる。

またまた・鳴小小一碗茶 目次一覧へ