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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2018年3月1日

歳のせいか、シンプルが好きになってきた

――中国茶は、一貫してシンプルが一番


 はや、3月である。
 寒い冬だったので、お茶摘みのことなど忘れていた。
 もう雲南省や広西壮族自治区では、初摘みなどとうに終えているであろう。
 
 この頃、外で食事をすると感じることだが、シンプルなもの、単純なものがより好きになってきた。歳のせいもあるかもしれない。

 ここ15年ほどか、フレンチにしても、皿の盛りつけというか、飾りつけというのか、「絵を書くように」と表現されるが、飾るのが主流になってきている。
 そうしなければ、料理ではない、と思えるほど、どこでも見受けられる光景になっている。
 そうして出される料理は、美しくあればあるほど、味がまずいと、腹が立つことすらある。
 以前から、値段が高くて、まずい店には腹がたった。お金はもちろんだが、時間も無駄だったと思った。

 それと似た感じで、色美しく飾られながら、一緒にもられている料理の味がまずいと、神経の使い方を間違えているのでは、と思う。高ければ、腹がたってくる。
この頃では、リーズナブルでおいしい味の店がたくさん増えている。名前に安住して、見た目だけで勝負する姿勢が気にいらない。

 そのうえ、飾りに、というか描くように、周りに点とか線でおかれたものが、ソースなのか、飾りだけなのか、わからない中途半端なのが、とても気にいらない。たいていの場合、ソースとされて説明されることが多いが、それにしては、料理の味を引き立てる量が確保されていないことが多い。
 あるいは、料理じたいにソースがあって、それをまた引き立てるようなソースの使い方がされていることが少ない。
 飾ることだけに、とまでは言わないが、もっと料理じたいの、食べられる、口に入る最後の味がどうあるべきかをきちっと示してほしいし、注力してほしい。

 そんな思いをもっているうえに、このところのシンプル指向である。
 味の単純さを意味しているのではない。ただ焼く、ただ煮るでも良いのだが、その背景にきちっと、閃きや技術、あるいは隠れた仕事を感じさせる、そんな単純さがよい。
 思わず「おいしい」と唸る「幸せ」が、好きである。

 シンプルという表現は、誤解されるかもしれない。
 軽く迫りたいものであれば軽く、重くありたいものは重く、メリハリを、作り手の考えがはっきりわかるものが良い。

 たとえば、寿司でいえば、握り手の人柄が感じられるものがよい。それは、おにぎりのおいしさ、まずさの違いに通じる。
 中華の麺でいえば、すんだスープの、極端をいえば具が何もないものがよい。麺は茹ですぎは困る。
スープが全てである。清い、広がりのある、それでいながら柔らかに印象に残る、そんな感じが大事だ。「上湯」を作る技術が、すべてかと思うが、その複雑な材料、技術に裏打ちされた単純さが、好きだ。

 和食で、よく「日本料理は引き算だ」と耳にする。
 削ぎ落として、削ぎ落としての結果だ、というように理解するが、それは違うと思う。
 削ぎ落としの裏には、材料の選びから、結果となる料理への閃き、企画力、構築力が必要で、それを調理する包丁使いから始まり、ダシ作りへの微妙な組み合わせなどなど、隠された技術や才能が、ぎっしりと詰まっての結果である。

 これらは、長年の「食べる」経験からくる、好みのことで、私が複雑な味を感じ分けるほどの力がないせいかもしれない。
 要するに、力が入らないで、静かに、そして密かにエキサイティングに、「おいしい」と思えるものがよくなってきた。

 ところが、中国茶に関しての好みは、ずっと一貫している。
 シンプル、清らか、広がり、奥ゆき、優しさのあるお茶が好きである。
 でも、そう言い切れるのは、歳とった今だからだ。自分の好みに対してのある種の確信、あるいはこれが好きとしか言えないという、これから先の可能性のなさからくる諦めも背景にあるからだ。

 これは、お茶をいれることからすると、難しい要素がある。
 お茶はもともと、複雑な要素を内在した植物である。その複雑さに加え、作られる環境、作り手の考え方、そして製茶する人の考え方などで、その複雑さがより複雑になる。
 それを単純化するためには、抽出させるものを限定的にする必要があって、そうしないと「清らかさ」などは表現できなくなる。

 お茶のいれ方を教える場合、「いかに抽出するか」をふつう教えるのだが、ある技術水準から進化させようとするなら、「いかに抽出しないか」を教えることが必要だと思う。

 と説明すると、難しく感じるが、大切なのは、「おいしい」と感じること、なんとなく「幸せ」だなと思えることで、そんなシンプルな、単純なお茶が好みである。
 それが全てかもしれない。

ジンの写真 お酒を飲めない私は、お酒が好きである。
そんな私が勧める今回の「いっぴん」は、ジンである。昨秋発売されたばかりの、国産ジンだ。
「KOZUE」。漢字では、「槙」で表されている。
 和歌山県海南市にある酒造メーカー「中野BC」が作っている。
 
 ジンは、好みで、「ボンベイ・サファイア」が好きな人、「ビーフィーター」が好きな人、「ゴードン」が好きな人だの、味、香りが多様である。ジン発祥の地の一つ、ベルギーのハッセルトに行ってみると、小さな町なのにその周辺では実に100種類を超えるジンがあることがわかる。
 その味、香りの違いは、ジュニパーベリーを中心に、レモン、カルダモン、シナモンなどの多様な香り、ハーブの組合せで、それぞれの特徴を出すことにある。

 このKOZUEは、和歌山らしく「コウヤマキ」、みかん、レモン、山椒などが使われている。何よりも、「コウヤマキ」の香りが、このジンの存在を特徴づけている。
 簡単にいうと、ヒノキの風呂の中の爽やかさで、ジンが楽しめる。
 そのままロックが、このジンの特徴を発揮できると思う。ボンベイ・サファイアとも十分に競える、おいしい国産ジンの登場だ。一度は試してもらいたい。

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