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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2018年2月15日

「醤油注ぎ」で始まり、白磁の「蓋碗」で終わる

――中国茶道具の私の変遷


中国茶用に買った人生最初の茶道具は、何だったろうか、と思いおこしてみた。
30年以上前になるので、はっきりしない。たぶん、「醤油注ぎ」だった。

 中国茶に一歩踏み込んで興味を持った頃、それまで日本の急須やポットで中国茶をいれていたのを、小さくいれて、小さい器で飲む、工夫茶でお茶がいれてみたくなった。
 当時、頻繁に行っていた香港で、潮州料理を食べに行くと、料理のスタート前に、工夫茶のセットが茶船などにのって出てきて、焙煎された鉄観音がいれられた。それが料理始まりの合図であった。
 料理の終わりにも、また工夫茶のセットが出てきて、お茶がいれられ、それが「おしまい」を示していた。

 茶藝を見て、「茶壷」を使いたかったわけではない。
 潮州料理の流れを見て、小さくいれるお茶に興味を持った。
 使われていたポットは、紫砂の茶壷。といっても、当時は表現する用語も知らず、「素焼きの急須」みたいな表現をしていた記憶がある。

 ところが、日本のどこで買えるのかわからない。
 当時、日本でポピュラーな中国茶は、中華料理屋で出てくる「ジャスミン茶」で、それすら買おうとすると、中国物産展か、中華街などに行かなければ、容易に買うことができなかった。

 もちろん、工夫茶用の茶壷など、中華街の中国茶を扱う店にでも行かなければ、見ることも少なく、値段も高かった。
 そこで、似た形、大きさのものを考えた。
 それで思いついたのが、「醤油注ぎ」であった。

 数カ所、デパートの売り場を見て歩いて、買った記憶がある。
 磁器のものを買ったのだが、意図して磁器を選んだのではなく、陶器、炉器などとの差など、考える知識すら持たなかった。形から、そして、何気なく、これなら使えるかな、と閃きから選んで買った。
 今は、手元に残っていない。正確な形など覚えていないが、けっこうおいしくはいった。
 なんとなく本格的に、中国茶を楽しむ雰囲気になれたことを覚えている。

 いれる場所は、台所の流しであった。
 茶盤も茶船も持ってはいない。
 だから、茶壷にお湯をまわしかけるには、台所の流しが容易な場所であった。

「醤油注ぎ」から始まった、私の中国茶で使う道具の購入は、収納する場所すらなくなるほどの量になった。
 あわせて、サロンの活動をやめる宣言したをした2016年、購入をすることを中止する決断をした。

 日本の茶道で、千利休の孫、千宗旦は、最後、茶碗、茶筅など道具をほとんどないところまで、削った、と伝えられる。
 それに憧れるわけでもないが、たった一つの器だけで、中国茶をいれることができるようになった。道具の力に頼る、道具の装飾に頼る環境を、必要としなくなった。むしろ、余計なものとなった。

 お気にいりの、というより、この一つで、私のお茶です、と力をいれなくてもすすめることのできる器だけでよい、と思うようになった。思えるようになった。
 だから、ほかのものは必要ない。その方が、余分なことをしないで済む。
 
「醤油注ぎ」から始まった私の中国茶は、15年ほど前、有田の西山正さんに、私の希望を伝え作ってもらった白磁の「蓋碗」で、終わりにたどりついたことになる。
それで十分であり、それでいれるお茶が、私であり、私のお茶である。
 満足である。それで幸せである。

クエの「清蒸」の写真 今回の「いっぴん」は、興奮ぎみにお伝えする。
 クエの「清蒸」である。
 今回食べたものは、人生一番の出来の「清蒸」だと、迷わずに断言できる。
 広東料理のメニューの中心に位置する「清蒸鮮魚」。広東だけではなく、広く各地域の料理の中に見ることができる。
「鮮魚」の部分には、白身の魚の名前が入る。香港では、イシモチだの、セッパンだの、高級になるとナポレオンフィッシュなどが使われる。
 白身の魚を蒸して、葱油のソースを熱く作っておいて、蒸し終わった魚にさっとかけて、提供される。
 好きな中華料理の一つである。機会あるたびに各所で食べてきた。
 和歌山のクエは、関西圏で冬のヒーローの魚である。日本料理屋はもちろん、色々のところで、クエの料理、クエのフルコースが登場する。
値段は高いし、なかなか食べる機会がないが、中華の「清蒸」で食べたら、おいしいに違いない、と思っていた。
 そんな話を、大阪の教室の人に話したら、手配をしてくれた。
 和歌山に、大阪の中華「空心」で修行した炭井さんが独立して店を出したので、彼に作ってもらえるように手配した、というので出かけた。
 食べて「感激」の一言。「幸せ」の満足感である。
 過去の「清蒸」料理、いつもおいしと感じながら、どこかに不満を持っていた。ある時は、冷めて出てきた。ある時は、川魚の臭みが残り、清らかではなかった。ある時は、蒸しがあまく、きれが悪かった。ある時は、蒸しすぎで、魚がパサパサで、ソースの味しかなかった。
 クエで絶品になるに違いないと思った。適度の脂を残した状態に蒸し上げ、そこに熱々の葱油の、塩からくなく、クエのおいしさを邪魔せず、引き立てるソースをかけて食べるのが、夢であった。
 それを全てかなえてくれた。和歌山のクエのおいしさを十分に引き出しながら、作ってくれた。炭井さんの腕に関心した。
 炭井さんの中華は、ほかのものも期待を裏切らなかった。
 和歌山に行かなければならない理由が、また一つ増えた。
クエは、そろそろ終わりで、来年のシーズンを楽しみにしたい。クエを食べたい場合は、事前に相談してからが確実だ。
「chinos SUMII」https://chinois-sumii.gorp.jp、すぐにでももう一度訪ねたい。

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