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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2018年2月1日

雪がもたらしてくれたもの

――私にとっての、茶の師、茶の友。


「台湾のお茶はどうなっているだろう」と、ふと思った。
 東京で雪が降り、1月末に函館の調理師学校で、恒例の中国茶の講座があり、函館に行く飛行機の中で、ふと思った。
日本全体が凍てついていて、「寒いから覚悟してくるように」と、函館から連絡がいくつもあり、雪雲の中を機体が大きく揺れながら、下降を続けていく。そんな中で、頭をよぎった。

なぜ「台湾の雪」が、気になるのか。
雪が降れば、そのシーズンのお茶は採れなくなる。ましてよいお茶など、期待するべくもない。
7、8年前になるだろうか。もっと前だったかもしれない。
2年続けて、高山烏龍茶の茶区に雪が降ったことがある。収穫の時、11月下旬だった気がする。
冬茶の収穫の直前であった。

 今の台湾の冬茶は、もっと早い時期から市場に出始める。
 11月のはじめには、冬茶は店頭にならび始める。早ければ、10月半ばに見ることすらある。
 それもこれも、この「雪」が、しかも2年続けて降ったことがきっかけになった、と勝手に、体験的に思っている。

 そうでなくても、そのシーズン、なるべく早く店頭に並べる方が、高く値づけができる。
 台湾の冬茶も、そうであった。
 いくら、おいしいお茶は、シーズンの最後の方に出てくる、ということがわかっていても、売り手は早く出したがる。高く売りたいからだ。その傾向は、雪が降る数年前からあった。

 そして、それまで店頭には11月の下旬でなければ登場しなかった冬茶が、前に述べたとおり、雪が2年連続して降ってから、半月から1か月も早く登場するようになった。
 じつは、その時期のお茶は、それ以前は「秋茶」である。よいお茶は春と冬の2回摘みだから、その時期登場するお茶があるとすれば、秋茶で、質もあまりよくなく、値段も安いものだった。

 その登場を決定づけた要因の一つが、雪であった。
 この時は、末端のお茶舗ではなく、農家、生産者が、早める決断をしたのだ。
 冬茶を摘む時期を待って雪が降ってしまったら、年2回の大事な収入のうちの一つが、無収入とまではいかなくても、大きな収入減になってしまう。
 農家、生産者は、怖くなったのだ。秋茶の時期とされていて、お茶の旨みもまだ十分に貯めきれない、とわかっていても、収入減よりは、秋茶の時期に冬茶を摘むことを選んだのだ。

 私には、それを責めることはできない。が、確実にこの時期から、台湾の冬茶は、味は落ち、薄っぺらに感じるお茶が増えたことも事実である。
 そうして、それを補うかのように、「冬片」と呼ばれるお茶が、広く注目されるようになった。売り手ももう一段高いお茶として売ることもできるので、一般市場で、場所を確保するようになった。
 冬片が、それまでになかったわけではない。初めてその存在を知ったのは、20年ほど前で、お茶屋さん、お茶人の間で、珍重がられるように、ひっそりと取引きされていた。

 雪が降ったそのシーズン、どこの茶舗に行っても、値段の高さ、品の薄さなどの話しを聞かされる中、私のところに来たお茶は、それまでの台湾の烏龍茶を超えるか、と思えるほど、質の高いお茶であった。
 そんな市場的にも悪い環境下で、私に用意してくれたお茶は、本当においしいお茶であった。
 それは、それを集めてくれた「九壺堂」のセンさんのお陰であった。そんな厳しい時期、彼は、中途半端な妥協をせずに、私向けのお茶を、訪問する期日前にはそろえておいてくれた。
 例年にも増しておいしいお茶であった。
 
 もう一つ、雪に関する思い出を語ろう。
 20年ほど前になってしまうだろうか。西湖龍井のお茶である。
「明前」(清明節前)、畑は「梅家塢」。「獅峰」のお茶が最高峰といわれる中で、梅家塢のお茶がおいしいのでは、とその地位を固めかけた時の話しである。
 3月も20日を過ぎ、そろそろ採り入れも近いかな、と思った時、杭州に雪が降った。茶畑も、もちろん雪になり、芽が全滅に近い被害をうけた。

 よいお茶が絶望視される中、私に届いたお茶は、それまでにないくらい、おいしい「西湖龍井」であった。
 
 盧仝の茶詩として最高と評価の高い、「七椀詩」が収められた書簡。それは、献上茶である「陽羨茶」を、皇帝に届く前に、盧仝に届けてくれた友人に対する、友の想いへの礼状であった。
 それと同じように、台湾のお茶しかり、西湖龍井しかり、逆境のなかで、努力してくれた師、友人の想いがなければ、私のところへは届かなかったものであった。

 雪は、その人たちが、私にとってかけがいのない師であり、友人であることを教えてくれた。
 その人たちがいなければ、今の私のお茶とのかかわりは、とうに終わっていたであろう。
 機体が激しく揺れる中、私の心に温かなものが蘇った。

カレーカツ丼の写真 今回の「いっぴん」は、「カレーカツ丼」、750円である。
「カツカレー」ではない、カレーライスのご飯の上に、卵でとじられたカツがカツ丼のごとく乗っている。
 メニューを見た時、わが目を疑った。カツカレーの間違いではないかと。でも、その二つ左横に、カツカレーは写真つきで載っている。味のマッチングが想像できなかった
 とってもおいしいか、とってもまずいか、間はないな、と思った。が、興味が勝った。
 食べてみた。
 おいしい。一気に完食した。
 かつ丼とカレーライスを、おいしく食べた感じである。得した感じ、満足感あり。充実感あり。
 店を入る前は、看板商品「チャイニーズチキンバーガー」を食べるつもりだった。飛行機が着く時間が遅かった。雪も降っているので、近場で、気軽に夕食としたかった。
 期待するわけでもなく、興味だけで注文した。席に着いて、料理が来る間じゅう、後悔していた。味が想像できない。まずかったら、せっかくの函館の一食を損した気になるに違いない。
 運ばれてきて、一口まずカツ丼部分を食べた。ふつう以上にボリューム感のあるカツで、タレもから過ぎず、ちょうどよい加減だ。二口目は、それにカレーのルーを混ぜて食べてみた。
 昔、カレーライスにウスターソースをかけて、食べていたことを思い出した。それとは違うが、カツ丼の醤油味のタレとカレーは、おもしろい、おいしいマッチングをしている。
 あとは、一気に最後まで食べた。大満足で、店を出た。
 調べてみた。「カレーカツ丼」は、いつどこで生まれたのかは、わからなかった。
 でも、私も知っている立ち食いそばのチェーン店などでも、メニューにあることがわかった。
 私が食べたのは、函館に数店舗を展開するハンバーガーチェーン、「ラッキーピエロ」の一品である。おすすめだ。

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