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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2017年11月1日

「食」が、こんなに主役の時代があったろうか

――教えます。函館グルメツアーの内容を


「食」がこんなに前面にたって、情報として価値をもって扱われる時代が、歴史上あったろうか。
 少なくとも、過去の時代を生きていないし、記録も、この視点では残されていないから、なかなか検証しにくいが、「食」が情報の優位に立つ時代に今あることは、確かである。

 しかも、いわゆる「グルメ」情報に象徴されるように、「食べる」こと、「おいしいこと」への探求や、その情報を発信する人、その情報そのものが価値をもって、評価さることにすらなっている。

 今や、テレビ、雑誌、ネットはこの情報抜きには成り立たないほど、隆盛を極めている。
 なぜ、そうなったのか。
 原因追求してもしょうがないが、「欲」にその根源はあるような気がする。
「金欲」は、それを満たせる人よりも、満たせない人の方が圧倒的に多いある。バブルの時代、あるいは立志伝中の人が乱立するほどの時代環境は、今はなかなか望めない。

「欲」が情報などとして価値を持つのは、実現可能性がある時であるような気がする。
 その点、いろいろ「あきらめなければならない時代」にあって、「食」だけは、お金のある、ないに関わらず、それなりに実現可能なのである。そしてその上、「取り寄せ」という現代が生んだ流通の革命を通して、どこにいても、とまではいかないが、より簡単に入手できるという地域の障壁すら軽減されてきている。

 金銭的な階層、地域的なギャップ、年齢などさまざまな次元において、等しくアプローチできる「欲」なのである。
 そして、「おいしい」という充足感は、「B級グルメ」という言葉に象徴されるように、ほとんどの人にとって、満たすことのできる「欲」なのである。

 ということで、というわけでもないが、その「欲」を満足させる目的の旅に行ってきた。
 生徒さんたちと一緒に、函館に「食」のツアーで行った。中国茶のクラスのツアーなのに、いよいよ中国茶とは全く無縁のツアーになってしまった。
 2泊3日、「食」だらけ。

 到着の函館空港から直行で、明治の建物のフレンチレストラン「太刀川カフェ」でランチ。久しぶりのガッチリ・フレンチである。私は羊のローストを食べたが、北海道は、輸入の羊でもなぜかおいしく感じることが多い。
 夜は、私の今函館一のお気に入りお寿司「幸寿司」で、発想力と技が光るアテを際限なく楽しみ、最後に季節のお寿司でこの日は締め。

 二日目の昼は、B級グルメながら、満足感のあるハンバーガー「チャイニーズチキンバーガー」を、「ラッキーピエロ」で食べ、夜はスペイン風のタパス料理を中心に組まれたコースを、「コムシェヴー」で食べた。ワインにも満足。

 帰りの空港へ向かう前に、ご希望もあって、贅沢「うにスープ混ぜそば」を、「ラーメン居酒屋」という不思議な呼び方を標榜する「函館軒」で食べて、リムジンで空港へ向かった。

 初日の食事の間も、若き夫婦が焼くパンを「Tombolo」でゲット。
プロなら知っている「白口浜昆布」を中心に扱う昆布問屋「丸昌」で、本物の「がごめ昆布」や「真昆布」といった直球の昆布から、「昆布スープ」などの加工品も購入。
 明治から続く老舗菓子店「千秋庵総本家」で、私の好物「どら焼き」を買って、道すがら全国に広がるお土産の定番に今やなった、「チーズスフレ」の発信元、「プティ・メルヴィーユ」に寄って、今晩のケーキをゲットした。

 翌日は、遠出をして、函館のシェフ連中が、足繁く通う「政田農園」に。「野菜を買いに素人がわざわざタクシーを走らせるか」、と思いながら、珍しいもの、普通のもの、いろいろ買って、宅急便で送る。
 そして移動の途中は、絶景の大沼の紅葉を、見ながら大沼湖畔を通り、知る人ぞ知るくらい無名のチーズ農家、私の評価は日本一の「山田農場」に。シーズンオフながら作ってもらうように無理を頼んだ、絶品チーズを、ピックアップして、函館へ向かった。
 
 途中、イタリアン・ドルチェでは、密かに日本一と私が勝手に決めている「チッチョ・パスティッチョ」に寄って、皆さんは日持ちのする焼き菓子や絶品の「ジャンドゥーヤ」を買われ、持ち帰れないケーキは、お腹に納めて、満足の様子。
 お菓子屋さんに寄る手前にあるお気にいりの魚屋さん「坂井鮮魚店」で、おいしそうな「ツブ貝」と「一夜干しの宗八かれい」を知人に送った。

 皆さんを送って、私は数ヶ月前に評判を聞いたお寿司に。直球勝負で(ネタと握りの技術だけ)食べたくて、「はる鮨」に行った。評判どおり、久しぶりのおいしさだ。
 とくに、ブリは、十年ぶりにおいしいブリであった。脂ののった腹の部分。口の中でとけていく、絶品であった。大間であろうが、戸井であろうが、松前沖であろうが、絶品といわれるトロ以上だと私は思う。それを堪能できた。

「Tombolo」の「山のケーキ」  私が中国茶をここまで続けてきたのは、この「食」という「欲」に根ざしていたのだと思う。「おいしさ」を求めて、自分でもしぜんに「おいしくいれる」工夫をしてきたような気もする。
 このツアーの行程を見て、納得していただけると思う。

「Tombolo」の「山のケーキ」の写真 今回の「いっぴん」は、文中にも出てきたパン屋さん「Tombolo」の「山のケーキ」である。ずっしりと重いケーキだ。くるみ、干しぶどうなどが生地よりもギッシリと詰まっている。
 この手のフルーツケーキは、たくさんの競争相手がいる領域だ。その中でも、これくらい、これでもかと圧巻で、充実感のあるケーキはめずらしい。しかも、全体としてのバランスがよく、材料のどれかが勝っていることがない。
 じつは、店頭では、あまりケーキの名前を確かめることもせずに、ある時にすぐ買っているので、名前がよくわからない。ホームページで確認すると、ケーキの写真もあるので、たぶんこの名前であろう。
 初めて気づいたが、取り寄せも可能のようである。http://tombolo.jpn.org/?page_id=2
 おすすめだ。

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