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コラム「またまた・鳴小小一碗茶」report

2017年9月15日

飽きないおいしさ。Bilbaoは、魅力的になった

――伝説のピンチョス、Bitoqueの味は、花開いている


 8年ぶりにスペイン・バスクの中心地、Bilbaoに行ってきた。
 前回行った時は、「食都」として、「ブレンチ・バスク」(隣接したフランスのバスク地方)とともに、「スペイン・バスク」が、世界から注目を集め始めた頃であった。
 とくに、San Sebastianは、「美食の街」として、日本にも知れ渡ってきた頃である。スペイン版のミシュラン3ツ星のレストランが、この街や近郊に集中していたこともある。なぜか、男ばかりでクラブを作り、機会あるたびに集まって、自分たちで食事を作り、皆で食する「美食クラブ」があることでも、知られていた。
 市街に軒を連ねるBar(バル)で、今や世界中の食文化になったPintxos(ピンチョス)が初めて出された、ということも、世界中の食通の話題になった時代であった。

 当時、行く前に、スペイン人の友人二人と東京で食事をする機会があった。
 一人は、スペイン南部のセビリアに住んでいる。一人は、同じくセビリアに住んでいるが、バスク州の中心地Bilbaoの出身である。
 バスクの白ワインTxakoli(チャコリ)が、スペイン・ワインの原産地呼称(D.O.)を取ったこともあり、そのワインのことを聞いてみた。そうしたら、仲の良い二人が、全く異なる反応を示した。
 Bilbao出身の彼は、「よくぞ聞いてくれた。日本ではほとんど知られていないが、おいしいよ。興味あるのか?」と嬉しそうな顔をした。
 もう一人の彼は、「あんな石油みたいな、臭いワイン」と、顔をしかめた。
 その反応のあまりの差に、よくわからないまま、San Sebastianに4泊、Bilbaoに3泊ほどした。

 その時、Bilbaoで、友人が紹介、手配をしてくれたBilbao近郊のTxakoliのワイナリーで、その製造過程を見せてくれた。それまで、San SebastianのBarで、飲んだTxakoliよりもおいしかった。
 そして、もう一人、Bilbaoで注目のPintxosの作り手、Bitoque(ビトケ)に会った。友人の手配であった。彼のBarには、滞在中3回か4回も行くほど、衝撃的なおいしさであった。彼がイギリス人であること、そして修行先のBilbaoで、奥さんと出会い、そのまま二人で店を開いたことも聞いた。

 奥さんは、彼の二軒になったBarの、古い方の小さな店で切盛りをしていた。私は、彼と会った新しい店よりも、奥さんのいる店の方が、他のお客と肩が触れ合いながら、外にまで人が出て、飲み食いしている方が、現地らしく感じて、何度も通った。
 彼は、それまでのバスクのPintxosを、より自由に、いろいろのトライアルをして、新しい味を作っているのだ、と熱く語っていた。
 その通りであった。
 San Sebastianよりも、水準の高いPintxosがBibaoにあることがわかった。

 そして8年後の今年、今回はBilbaoだけに6泊した。
 前回で、Pintxosを食べるなら、San Sebastianに行かずとも、飛行機の便が良いBilbaoでよいこともわかっていた。
 ただ、昨年あたりから、「Bitoque」をネットでいくら調べても、過去の情報はあっても、出てこなくなっていた。彼からもらった名刺のアドレスも、繋がることはなくなっていた。

 セビリアに住む友人が、ちょうどBilbaoに帰っているというので、一晩会って、Barを2軒案内してくれた。
 彼らのBarとPintxosの関係は、仕事が終わって、立ち寄って、Pintxosを一つ、二つつまみ、Txakoliを一杯飲んで、次のBarに行き、同じようにして、家に帰り、食事をする、というような使い方である。
 私たちにとっては、美味しそうに並ぶPintxosから、指さしで4つ、5つ食べ、Txakoliを一杯か二杯飲んだら、十分満足した夕食になる。お昼のご飯も、店ごとにPintxosの種類は違うから、同じように食べても、飽きることはない。
 ということで、滞在中、10数軒のBarで、昼食・夕食、時には朝食をとって、一つも同じPintxosを食べずに過ごした。

 だから、3つ星レストランの一人200ユーロは覚悟しなければならないのと違って、一人一食10から15ユーロ。食事代も安くあがった。気持ちは、大満足であった。

 Bitoqueは、すでになくなっていた。友人がいうには、ご主人がなくなったと聞いたという。以前通った店にも行ってみた。店のつくりは同じであったが、そこは名前が違う店になっていた。そして、あの外にはみ出した人の喧騒も、なかった。静かであった。

 しかし、彼のやったことは、今のBilbaoのBarのあり方、Pintxosのあり様に、生きていると思った。
 8年前に比べ、Bibaoの街、建物は、古さは古いままに綺麗になり、市電(トラム)や郊外に伸びる地下鉄も整備され、観光都市として、非常によい形に成長したと思った。
 寂れた街を生き返らせるために、ニューヨークのグッゲンハイム美術館を誘致し、高層タワービルの設計を国際コンペで行なって、磯崎新が勝ち、「イソザキ・ゲート」として話題を呼んだ。
 
 そして、今は、食都としての評価を裏付けるように、Barの数も増え、供されるPintxosも、しのぎを削りあうように、質の高い、それぞれの店が工夫をこらしたものを提供している。
 定型的なPintxosに留まることなく、新しい発想と、組み合わせの小品で、魅力を増している。そこには、8年前に会ったBitoqueの熱い言葉が、発展し、広がり、花開いているように思えた。

 そして、その基礎に貫かれているものは、「おいしいことが当たり前であること」、そのために「おいしさへ努力すること」があるような気がする。バスクという風土、人が文化として、歴史を超え、ずっと継続しているような気がする。
「おいしさ」ということが、食文化を継続させる原動力であり、言葉にする必要もない、血となっているからこそ、続いているのかと思う。

 翻って、中国茶の世界で考えると、今、私たちのまわりの中国茶は、この「おいしさ」という意識を土台において、進んでいるかというと、必ずしもそうではない気がする。今ある姿は、流行として、いずれ消えゆくことになるのだろうか。
 どうということではない。身構える必要もない。気楽に、「おいしくお茶をいれる」、そして「楽しむ」、という簡単なことこそが、歴史を超える永遠に続く道であることを、バスクの「食」が教えてくれているような気がする。

Txakoliの写真 今回の「いっぴん」は、Txakoli(チャコリ)である。
 写真は、ワイナリー「Itsasmendi」のものである。これよりランク下のものもあり、Barでもよく飲まれている。この「7」そしてその上のランク「Artizar」は、おすすめである。日本でも入手は可能かもしれない。生産量が少ないワイナリーなので、あまり海外に出ることはない、といっていた。
 Txakoliは、大きく二つの隣接した地域で作られる。San Sebastianから西に海岸線沿いにある、Getaria(ゲタリア)のエリア、そしてBilbaoの周辺にBizkaia(ビズカイヤ)のエリアがある。これは、Bizkaiaのエリアのもの。
 このワイナリーの場所は、ゲルニカの近くで、Bilbaoから車で25分くらいのところにある。
 友人が「会いに行きなさい」と、このワイナリーの製造責任者を紹介してくれた。今、作るエネルギーのもっともあるワイナリーだから、がその理由であった。

 2時間近く、歴史、畑、品種、製造工程、そしてテイスティングと、熱心に説明してくれた。まだ若い作り手だが、一生懸命さとビズカイヤの地、そして作るワインへの愛情が伝わってきた。
 近年、GetariaのTxakoliと違って、微発泡にこだわらなくなってきている、という。8年前、「石油の香り」と酷評していたセビリアのもう一人の友人が、数年前に、「おいしくなった」と絶賛していたのが、本当だった。
 気軽に飲める、というのが、今までのTxakoliの謳い文句だったが、それにプラス、奥行きと香りと広がりを持つ、優秀なワインに育った。
 これなら、和食と一緒でも、なんら違和感はない。

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